【リオパラリンピック】パラカヌー18歳瀬立モニカの詳しいプロフィール!事故原因は?
2016/08/27
2020年東京で開かれるパラリンピックのパラカヌーで、金メダルを期待されている瀬立モニカ選手。
高校1年の時、体育の授業中の転倒事故で車いす生活になってしまった活発な18歳。
2016年から正式にパラリンピック競技種目に採用されたカヌーですが、
日本の参加選手は、瀬立モニカ選手ひとりだけ。
現在大学1年生で18歳、東京パラリンピックの時点で22歳。まさしく超新星、期待の星です。
リオでは、どんな活躍を見せてくれるのでしょう?
瀬立モニカとはどんな選手なのでしょうか?
Contents
瀬立モニカ選手のプロフィール
(画像元:https://www.parasapo.tokyo/athletes/36/)
1997年11月17日生まれの18歳
東京江東区出身
江戸川区深川第一中学校卒業
宝仙学園校卒業
筑波大学 体育専門学群 1年生在学中
所属:江東区カヌー協会
瀬立モニカ選手が参加するパラカヌーのクラスは?
PKL1(パラカヌーカヤックのクラス1)という最も重い障害クラスで出場。
下半身のコントロールができないため、腰をひねったり、足に力をいれるということを一切せず、
モニカ選手は、胴体が動かせず、肩の機能だけで漕げる選手が属する最も過酷なクラス。
ウエイトトレーニングで鍛えた肩の筋肉が素晴らしく、強いストロークを生み出す原動力になっているとのコーチ談。
18歳という若さもあり、東京まで待たずとも、リオでのメダル獲得もあるかもしれませんね!
瀬立モニカ選手のカヌー歴は中学生から。小学校時代から運動神経抜群!
深川小学校時代は、水泳で大活躍し、そのずば抜けた運動神経を評価され、
カヌーに出会ったモニカ選手。
実は、モニカ選手は、障害を抱える前からのカヌー経験者。
中学時代もカヌー選手だったんです。
カヌーを始めたのは中学2年。江東区立中学校カヌー部に所属。
しかし、カヌーだけじゃないんですよ。
深川第一中学校では、バスケットボール部に所属し、中学3年で都大会で3位になるほど。
高校進学後も、バスケットボールは続けていました。
どちらのスポーツでも将来を期待されるほどの運動神経の持ち主だったということです。
もちろん、高校でもカヌーを続け、高校1年の都大会では上位入賞。
国体出場を目指し、選手選考会を目前に控えた高校1年生の6月に事故にあってしまいました。
瀬立(せりゅう)モニカ選手って、ハーフなの??名前の由来は?
プロフィールの名前を見て、あれ?ハーフなの?って気になりました?
お母さまも、本人も日本人です。
(画像元:http://blog.goo.ne.jp/fukagawa_koyukai/e/15cf7a520ab98e0eb41187b213832773)
お母様のお名前は、キヌ子さん。
モニカという一見ハーフかな?と思うお名前は、お母さまが敬虔なクリスチャンで、
自分のクリスチャンネームを一人娘に名付けたそうです。
世界の人々から”呼んでもらいやすいように”という思いも込めたそうですが、
まさに世界を舞台に戦う人生を進み始めたモニカ選手。
親から子供への”名前”は本当に素晴らしい贈り物ですね。
瀬立モニカさんのお母さんは看護師さん。母娘の絆はとても強い。
モニカさんも、中学時代はお母さまの夜勤に伴って病院に泊まったりするほど
親子は仲良し。
お母さまが務めていた同友会グループの深川クリニックのみなさんも瀬立モニカ応援チーム!
同友会が最初に診療所を作ったのも、江東区で、モニカ選手も江東区出身。
さらには、2020年の東京パラリンピックのカヌー競技も江東区で行われるのです。
モニカ選手は、江東区とのつながりがとても深いのですね。
(画像元:http://www.do-yukai.com/parasports/)
キヌ子さんは、
「前向きになったことに感謝している」と語り、
モニカさんも事故のときも、パラリンピックを目指す今も、支えは母と、
その母子の絆はとても深い。
瀬立モニカ選手が障害を持った原因とは?
2013年、高校1年の6月、体育の授業で倒立前転をした際に、失敗して頭から転倒。
頭を打ったことが原因で脳と頸椎が傷つき、体幹機能障害になってしまいました。
突然、車いすの生活に。
下半身のコントロールがきかず、座ったままの姿勢が保てなくなってしまったのです。
事故からカヌーを再び始める間での道のり
車いすの生活になってしまったモニカさんですが、高校に復学したのは、事故から半年後。
再びカヌーを始めたのは、2014年6月。事故から1年後のことでした。
練習場の川をロープで仕切って、転覆してもすぐにつかまれるように工夫してもらったりして、
リハビリを兼ねてカヌーを続けるうちに、
彼女の中に、「自分でもできる」という希望が見えてきたそうです。
2014年、カヌー競技復活から、わずか8か月で日本選手権を制し、日本一に輝く。
翌年2015年には、世界10位に入るなどその活躍はめざましい。
瀬立モニカ選手の過去の成績は?
・2014年 第1回日本パラカヌー選手権大会(石川県小松市木場潟湖) 女子KTA優勝
・2015年 パラカヌー海外派遣選手選考会(坂出市府中湖) 女子KL1優勝
・2015年 世界パラカヌー選手権(イタリア) 女子KL1第9位
・2015年 第2回日本パラカヌー選手権大会 (石川県小松市木場潟湖) 女子KL1優勝
2015年のイタリアでの世界選手権は、初の国際大会でありながら9位。決勝進出を果たすなど、
海外での活躍も始まったばかり。
この時の記録は、1分9秒310
注目は、まだ2014年に始まったばかりのパラカヌー日本選手権で2年連続優勝していること。
本当に将来が楽しみな選手なのです!
瀬立モニカ選手がリオ内定をつかむまでのドラマ
実は、ドイツで行われた2016年の世界選手権の順位は11位。
パラリンピック出場権獲得の条件は10位以内に入ることだったのだけど、
上位に失格者がでるというハプニングで10位に繰り上がり、無事リオへの切符を手にしたモニカ選手。
このときの詳細は、
KL―1は本来腕力だけでパドルをこがなければならない規則の種目で7位確定の中国選手が腹筋、背筋を使ったとの判定を受けて失格。
引用元:http://www.tomamin.co.jp/20160538796
運も、勝負には大切ですよね!
繰り上がりで10位になり、リオへの道が開けたことをモニカさんが知ったのは、
ドイツから帰国し、自宅へついて30分後の出来事。
国際カヌー連盟からのメールが届き、コーチからの電話で知らせを受けて泣いて喜んだモニカ選手。
すでに気持ちは東京パラリンピックへと切り替えていたところだったが、やはりリオに出場できる喜びは大きかったそう!
現在は、海外で戦えるからだ作り。ウエイトリフティングで鍛えるモニカ選手
瀬立モニカ選手の肩回りの筋肉がすごい!
(画像元:https://www.facebook.com/江東区パラカヌー協会-457131877820827/)
海外の選手に比べると、体をまだまだ鍛える必要があると
現在はウエイトリフティングに力をいれ、肩回りがこんなに立派に!!
肩の機能だけで漕ぐというもっとも障害の重いクラスで戦う彼女だからこそこの筋肉。
18歳の乙女がこれだけの筋肉とは、厳しいトレーニングにも耐える彼女の精神力の強さが感じられます。
サングラスや、Tシャツなどモニカ選手はピンクがお好きなよう?
もちろん、カヌーもピンク。
瀬立モニカ選手のマイカヌーはこちら!
(画像元:https://www.facebook.com/江東区パラカヌー協会-457131877820827/)
女の子らしいピンクと、黒のカラーに、天使の羽のようなデザインが素敵ですね!
この写真に写るシートには”チームモニカ”の試行錯誤が詰まっているのです。
モニカ選手のサポートは川村義肢の”チームモニカ”
川村義肢(本社・大阪府大東市)の”チームモニカ”プロジェクトにより、このシートは誕生した。
体幹機能障害のため、座ったままの姿勢を自力で保つことができない瀬立モニカ選手のために、
特別なシートを作っているのが、川村義肢。
2015年5月、ポリエチレン製の第1号が完成。
これにより記録が10秒以上も短縮されたそう!
写真は、このシートを作った川村義肢の山口慎司さん
(画像元:http://www.sankei.com/west/news/160602/wst1606020003-n2.html)
しかし、背もたれの広い第一号は、体の回旋を妨げてしまうため、さらなる改良を重ね、
背中ではなくおなかで体を支えるカーボン製の第2号が誕生。
モニカ選手自身が体を前に倒し、シートに自分の体を合わせる必要があるため最初は怖かったそうだが、
肩の動きが自由にできるようになったため、中学時代からカヌーを経験している彼女が、
「健常者みたいに漕げる!」と感激したほどの第2号と山口さんともに、リオでメダルにチャレンジする!
モニカ選手は、とってもポジティブ!将来の夢、目標は??
今回のリオパラリンピックへの出場もとても楽しんでいる様子
楽しんでいることは?という問いかけに、
合宿、大会、海外遠征などで、たくさんの方と知り合えること!
また、夜練で選手やコーチと行うプロレスの時間がたまりません(笑)。
実はコーチは、この戦いで私の筋力チェックをしているようです。それから、練習後の疲労感、筋肉痛もなんとも言えません!
引用元:https://www.parasapo.tokyo/athletes/36/
と答えています。
(画像元:http://www.sankei.com/west/photos/160602/wst1606020003-p2.html)
「再び歩くこと」。「走って焼き肉屋に行く。4年くらいたったらできると思う」
引用元:http://www.sankei.com/region/news/160408/rgn1604080066-n1.html
モニカさんがリオパラリンピックでメダルを獲得し、東京パラリンピックでは金メダルに輝く。
そして、いつかまた自分の足で歩く日が来ることを心から願ってやみません。
いつも前向きなモニカさんから学ぶことはとても多いですね。
瀬立モニカ選手は、実は、シットスキーでもオリンピックが狙えるかもなんですって!
瀬立モニカはパラカヌーだけじゃない!シットスキーでも2018平昌(ピョンチャン)パラリンピック連続出場?!
(参考サイト:https://www.parasapo.tokyo/athletes/36/
http://www.sankei.com/west/news/160602/wst1606020003-n2.html
http://blog.goo.ne.jp/fukagawa_koyukai/e/15cf7a520ab98e0eb41187b213832773)