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黒柳徹子

ワイセンベルクと黒柳徹子の出会いはいつどこで?何歳の時?

2017/12/30


 

ドラマ「トットちゃん!」でとうとう城田優さん演じるカール・祐介・ケルナーが登場して3回。

ドラマでは、出会いは日本のカレー屋さんでしたが、

実際のアレクシス・ワイセンベルクと黒柳徹子さんはいつどこで出会ったのでしょうか?

 

ドラマ「トットちゃん!」では、

仕事のため、待ち合わせの羽田空港貴賓室へは時間通りに行けず

すれ違ってしまった黒柳徹子さんとカール・祐介・ケルナーが

次回再会するようですが、その場所はアメリカのようです。

 

となると思い出すのは、

黒柳徹子さんもニューヨーク留学していたということ。

 

ドラマ「トットちゃん!」のように

日本でアレクシス・ワイセンベルクは黒柳徹子さんと出会ったのか

黒柳徹子さんがニューヨークにいた頃に、

ワイセンベルクもアメリカに暮らしていたのかなど

2人の接点が気になったので調べてみました。

 

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Contents

アレクシス・ワイセンベルクの亡命とアメリカへの道、そして永眠

もともとは、ワイセンベルク(1929年7月26日 - 2012年1月8日)は、

ブルガリアの生まれでしたが、

初めてのリサイタルを8歳(10歳という説も)で開き、作曲もするほどの

才能あふれるワイセンベルクは、第二次世界大戦の終盤を迎えた頃、

1941年12歳の時に、身の危険を感じる祖国ブルガリアから、家族(母)とトルコへ亡命しようとし、

嘘の書類を使っての出国だったため、失敗してつかまり、

強制収容所に3か月入れられています。

 

ワイセンベルクにピアノを教えてくれたのは母ですが、

そのピアノの才能のおかけで自由を手に入れました。

 

音楽好きのドイツ人の見張り番に叔母からもらったアコーディオンで彼が好きなシューベルトを

弾いてあげていたワイセンベルクをそのドイツ人兵が気に入り、

彼と家族を逃がしてくれました。

 

イスタンブール行きの列車にワイセンベルクたちを乗せてくれました。

開いた窓から叔母からの贈り物のアコーディオンも投げ入れてくれました。

そのドイツ人のおかげで

ワイセンベルクは、強制収容所を脱出することができたのです。

そして、それは彼のピアノがあったからこそ。

 

その収容所での様子をワイセンベルクは、こう語っています。

 

「収容所には3つの要素しかなかった。静けさと歌と泣き声」

 

1945年、16歳のワイセンベルクと母は、トルコにそして、そこからイスラエル、パレスチナにたどり着きます。

そこで、エルサレム音楽アカデミーで学び、

同年初のオーケストラとの演奏を実現しています。

 

そしてワイセンベルクは、

自分の命を救ってくれた叔母からのアコーディオンは、

野外コンサートのあと子供たちのグループにプレゼントしたあと

アメリカへと旅立ちます。

それが、1946年。

ジュリアード音楽院の入学を果たしたのです。

Artur SchnabelとVladimir Horowitzからの2通の推薦状をもって。

 

 

彼のアメリカデビューは1947年。ワイセンベルク17歳の時です。

Leventritt CompetitionとPhiladelphia Youth Competitionで受賞したことがきっかけで

ワイセンベルクのキャリアは華々しくスタートしました。

 

10年後の1956~1957年

27歳のワイセンベルクはパリに移住しました。

フランス国籍を取得。

 

そこから10年はワイセンベルクは表舞台には出ず

自分自身のテクニックを磨くことに費やし、

 

1966年、37歳のワイセンベルクはベルリンのコンサート、パリのリサイタルで

久々の表舞台に復帰しました。

 

1969年(40歳)には、ワイセンベルクは初来日もしています。

それから何度も来日し、

1982年(53歳)には、黒柳徹子さんの「徹子の部屋」に出演しています。

 

 

その後、パリからスペインに移住し、

息子1人(デビッド)、娘2人(クリスティーナ、マリア)がいると伝えられています。

 

これはワイセンベルクの2人の娘の写真画像ではないかと思う日本での写真はこちら

 

 

2001年頃に最後のコンサートをして以来、

晩年はパーキンソン病と闘病していたワイセンベルク。

 

 

2012年1月8日 82歳で永眠。

 

 

黒柳徹子(トットちゃん)のニューヨーク留学時はワイセンベルクもアメリカ在住?

 

黒柳徹子さん(1933年8月9日生まれ)はワイセンベルクの4歳下。

 

黒柳徹子さんがニューヨーク留学をしたのは、

1971年38歳の時。

 

この時は、

ワイセンベルクはアメリカ在住ではなかったんですね。

 

すでにパリで暮らしていたようです。

 

となると

黒柳徹子さんとワイセンベルクの出会いは

黒柳徹子さんのニューヨーク留学の時ではなかったんでしょうか?

 

 

やはりドラマのように

日本で出会っていたのかもしれませんが、

仕事でワイセンベルクがアメリカにいた可能性は十分にあります。

 

 

ドラマ「トットちゃん!」では、ワイセンベルクの来日時に出会っていましたが

実際も1969年のワイセンベルクの初来日の時に

出会っていた??

 

ドラマではワイセンベルクの来日後、

再会するのはアメリカの地。

 

やはり、再開して恋が動き出したのかも??

 

 

黒柳徹子とワイセンベルクは何歳頃で出会い、交際を始めたのか?

 

黒柳徹子さんは以前、テレビ番組で

 

「交際40年の外国人恋人がいた。そして、その恋は相手が亡くなって終わった」

 

と語っていたそうなので、

 

ピアニストのアレクシス・ワイセンベルクが

黒柳徹子さんの恋人だったと仮定すると

82歳で永眠されたので40年前は42歳

黒柳徹子さんが4歳下なので38歳ということになります。

 

 

アレクシス・ワイセンベルクが42歳だったのは1929年生まれなので

1929+42=1971

 

1971年にワイセンベルクは42歳

 

あれ?

1971年??

 

そうだ!!

黒柳徹子さんのニューヨーク留学は1971年だった!!

当時黒柳徹子さんは38歳です。

 

やはり、黒柳徹子さんとアレクセイ・ワイセンベルクは

1971年にニューヨークで交際を始めたんでしょうか?

 

ドラマでは、

1971年にトットちゃんがニューヨーク留学をし、

そこで城田優さん演じるカール・祐介・ケルナーと再会し、

恋が動き出しています。

 

ドラマでは、

黒柳徹子さんとカール・祐介・ケルナーの出会いは、

東京オリンピックの1964年10月10日の夜、

乃木坂のカレー屋さんです。

 

ナンが売り切れていて

手つかずでナンを残していた外国人客に

ナンをちょうだいと話しかけた黒柳徹子さんが

カール・祐介・ケルナーに下品だとたしなめられるところから

出会いが始まりましたが、

実際はどうだったのでしょう?

 

ドラマ トットちゃん!はかなり事実に基づいて作られていますので

もしかしたら出会った時期は事実と同じかもしれませんね。

 

 

まとめ

ドラマ「トットちゃん!」では、

これから城田優さん演じるカール・祐介・ケルナーと

清野菜名さん演じるトットちゃんの恋が動き出します。

 

ドラマの設定では、

外国人恋人のカール・祐介・ケルナーは日本人とのハーフという設定ですが、

実際は、ブルガリア出身のワイセンベルクと黒柳徹子さんは英語でやりとりをしていたそうですね。

 

黒柳徹子さんが難民支援に力を入れているのも、

恋人のワイセンベルクが強制収容所に入っていたり、

亡命を経験したりしているところから平和への思いが強くなったのかなと

思う部分もありますが、もしかしたら

彼からいろいろな話を聞いていたのかもしれませんね。

 

ドラマ「トットちゃん!」では

黒柳徹子さんの恋が事実をもとに描かれていますね!

トットちゃん!のDVDが発売されます。

 

 

 

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