DAYONEのYURI<市井由理>は篠原涼子とTPD!歌詞は?
2017/09/15
うわ~懐かしい!!
1994年8月にEAST END×YURIの1枚目のシングルとしてリリースした
「DA.YO.NE」(ダ・ヨ・ネ)のYURIの日本語ラップはすごかった!
耳に残るあの歌詞とメロディー。
だよねのYURIこと市井由理が復帰するというニュースは個人的に注目してます!
もうYURIさんも44歳なんですね~。
小学4年生のお子さんがいると聞いてびっくり!!
きっと今の若い子は「だよねのYURI」って言っても誰よ?それ。ってなるんでしょうね。
YURIさんが20年ぶりの復帰ってすごいニュースなんですよ。
当時を知る人たちからすると驚きでしょうね。
平均年齢14・8歳の4人組ヒップホップグループ・MAGiC BOYZからの熱烈オファーを受け、コラボを快諾。同グループのファーストアルバム「第一次成長期~Baby to Boy~コラボしてたの!?盤」(30日発売)に収録される新曲「パーリーしようよ」で華麗なラップを披露している。
引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170814-00000010-dal-ent
あのメロディー久々に聴きたくなって調べてみました。
Contents
EAST END×YURIってどんなユニット?
イーストエンド プラス ユリと読みます。
4名のユニットです。
途中でROCK-Tee さんが1995年に脱退しています。
GAKU - MC担当
YOGGY - DJ担当
YURI (市井 由理) - ラップ担当
ROCK-Tee - DJ担当
- 1994年2月、東京パフォーマンスドールの市井由理の友人だったEAST ENDが、市井の新宿シアターアプルで行われたライブにゲスト出演。観ていたファイルレコード佐藤社長の鶴の一声で「EAST END×YURI」を結成。
- 1994年6月、『denim-ed soul』をリリース。レコード発売記念ライブを西麻布YELLOWにて行う。
- 1994年8月、デビューミニアルバム『denim-ed soul』から、1st Single『DA.YO.NE』をメジャー(SONY)よりシングルカット。当初のセールスは不調。NORTH WAVEとタワーレコード札幌店の強力プッシュにより、まず北海道で『DA.YO.NE』がブレイクする。その後、広島・九州・仙台などの地方でも人気が上がる(なお、その後、カバーでこの地方ヴァージョンがそれぞれ発売されている)。最終的にミリオンヒットを記録し、最高位3位を記録。また、「英語以外のラップによるCD売り上げ記録」としてギネスブックにも掲載された。
- 1995年2月、ユニットとしての2nd Single『MAICCA -まいっか-』を発売。初登場3位。「DA.YO.NE」と共にベストテンにチャートインし、共に新語・流行語大賞にノミネートされた。この時点でROCK-Teeが方向性の違いにより脱退。
- 1995年4月、3rd Single『いい感じ やな感じ』発売。
- 1995年6月、フルアルバム『denim-ed soul 2』発売。グループセールスを合わせて400万枚を突破。
- 1995年7月、『denim-ed soul 2』より、4th Single『何それ』をシングルカット。
- 1995年12月、5th Single『ね』発売。大晦日には、第46回NHK紅白歌合戦に出場(ヒップホップグループとして初めて)。
- 1996年5月、6th Single『日曜の朝の早起き』発売。その後、ユニットとしての活動を休止。
引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/EAST_END×YURI
当時のEAST END×YURIの人気はすごかったですよ!!
「DA.YO.NE(だよね)」を聞かない日はないくらい、街中で流れてましたね。
日本語ラップが本当に新鮮で、み~んなマネしてた!
EAST END×YURIのYURIって誰?
市井由理さんは、1972年12月20日生まれの44歳。
EAST END×YURIのYURIさん、東京パフォーマンスドールの出身!
納得の美貌ですよ。
1990年に東京パフォーマンスドールでデビューしています。
穴井夕子・八木田麻衣とともにグループ内ユニット「ViVA!」としても活動されていました。
東京パフォーマンスドールはフロントメンバー、ライブメンバー、研修生と
かなりの大人数で今のAKBグループのような感じでしたね。
市井由理さんは、その中でもメインメンバーのフロントメンバーとして活躍していました。
フロントメンバーは、
木原さとみ(リーダー、1995年10月卒業)
米光美保(1994年9月卒業)
篠原涼子(1994年9月卒業)
川村知砂(1995年10月卒業)
市井由理(1994年9月卒業)
穴井夕子(1995年4月卒業)
八木田麻衣(1995年10月卒業)引用元:https://ja.wikipedia.org/wiki/東京パフォーマンスドール
篠原涼子さんと一緒だったんですね!市井由理さん。
篠原涼子さんとともに1994年9月卒業に東京パフォーマンスドールを卒業しています。
1994年2月に「EAST END×YURI」は結成されているので、
東京パフォーマンスドールの卒業とほぼ同時に「EAST END×YURI」としてのキャリアがスタートしていますね。
現在の市井由理(YURI) 44歳でこの美貌!
画像元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170814-00000010-dal-ent
市井由理さん小学校4年生のお子さんがいるんですって~
お子さんはママがラッパーだったことを知ってるんでしょうか?
テレビでママを見るのびっくりでしょうね!!
EAST END×YURIのDA.YO.NE(だ・よ・ね)ってどんな歌?歌詞は?
1回聞いたら頭から離れません!!
今、歌詞をよく味わってみると時代を感じますね。
ベルを打つって、今の若い子が聞いたら何?除夜の鐘?
懐かしい!ベル!!
持ってました!
はやくこい なら88951みたいな暗号打ってましたわ。
やばい、青春が蘇ってくるわ!
年ばれちゃう。笑
20年前ですもんねぇ。
「DA.YO.NE(だよね)」は23年前。
うわ~、そりゃ懐かしいわ。
当時は、歌詞というよりメロディーがキャッチーで、
だよね~しか覚えてなかった。
そして、歌ってるYURIがすごくかわいかったこと!
YURIさんも21歳だったんだ!!!
若い!!!
あ~懐かしい!!
「DA.YO.NE(だよね)」の歌詞
歌詞はこちらから確認できます。
まとめ
市井由理さんにオファーをしたのは、
14~15歳のグループMAGiC BOYZというからびっくり。
だって、生まれる前にYURIさんが活躍していたんだから
知らないでしょうし。
この曲を聴くと、
あの時代のあの瞬間に戻る。
そんな曲ってありますよね。
そのときの好きな人とか、友達とか乗ってた車とか、
お気に入りの場所とか。
YURIさんの復帰は、
MAGiC BOYZのファーストアルバム「第一次成長期~Baby to Boy~コラボしてたの!?盤」
に収録される新曲「パーリーしようよ」でのラッパーだそう。
8月30日発売だそうです。